見たまんまの世界

自分用のメモです。なんでもありません。

日本語力の醸成

「ギリギリ嫌味じゃない程度に知的」

 

普段わたしは人から何か評価されるタイプではないのだが、先日このように評価された。本人に確認したら一応褒め言葉らしい。

振り返ると見た目のことよりも、圧倒的にこの手の褒められ方をされることが多かったた。100%。

小学生の頃は「敬語が上手だね(小学生らしくない言葉の使い方をするね)」、大学時代の学習塾アルバイト先の上司(国語担当の偉い人)からは「あなたの使う日本語は今まで出会った人の誰よりも美しい」と。目上の人には敬語を使うし、きちんと言葉が伝わるように正しい日本語を使いたいと思うし、何も意識はしていない。何も特別なこともしていない。

 

 

なので、折に触れて人の言語力や日本語力はどこで醸成されるのか考えることがある。個人的には幼少期の読書量(文字と触れ合う時間)が重要な鍵を握っていると思っている。

国語の成績がずば抜けてがとても良かった高校の同級生は、小さい頃から親が絵本を与えてくれて山ほど読んだと言っていて納得した。わたしは勉強をするのが下手くそだったので成績は良くなかったが、数学よりは国語が得意で過去を振り返るとやはり親が本や漫画をたくさん買い与えてくれていた。

何より大きかったのは小学5、6年生のときの担任の先生の教育だろう。このときの先生は、別の学校から異動してきたスパルタ先生だった。「前の学校ではそうだった」と言って何かにつけてわたしたちに作文を書かせてきた。それまでのんびりのほほんと過ごしていたわたしたちにとっては苦痛だった。始業式−–学年が上がった意気込み、校外学習や修学旅行があれば感想を。それに向けての意気込みも書かされた。そしてまた感想、感想…。原稿用紙びっしり1枚分を何分で書けとか訳のわからない指示も出された。わからない漢字があっても辞書をひくことも許されず、推敲する時間もなくただただ思ったことをすぐに書いていかないと小学生には難しい課題だった。わたし含めクラス全員本当に嫌々書いていたと思う。

ただ、小学6年生の後半にもなると段々と作文にも慣れてきてそれなりのスピード感で書けるようになっていたように記憶している。作文の出来栄えがどう成長したかは覚えていないが、「文章を書く力」はここで養われたと信じている。これがなかったら今頃わたしはここで文章なんて書いていないだろう。

 

わたしは小説を書ける訳でも、なにか素敵なブログを書ける訳でもないが、こうやって自分の気持ちを書き起こすのは嫌いではない。心の機微だったりを捻り出して表現するのも結構好きだと本当につい最近気づいたりもした。

 

ただ、自分の文章力や語彙力が悪い方向に働くこともあった。恐らく。

20代中盤から後半にかけて4年間付き合った恋人とのやり取りの中で「自分の言葉が100%正しく伝わっていないな」と感じることが多々あった。後々モヤっとするのが嫌なので相手から取られた態度で不快なことなどがあったら理由も添えてきちんと不快であることを言っていたが、10言っても1も伝わっていない感じ。暖簾に腕押し。しょっちゅうコミュニケーションで躓いていた。でもわたしはそれでも言い続けた。きちんと彼に伝わるように。

同じように同じことを言って伝わる人にはきちんと伝わるのだろうが、きっと彼にはそれが高圧的に取られてしまっていたんだろうな。わたしはどちらかと言うと性格は温和な方で、短気だから怒りゲージは溜まるが怒り方を知らないから怒ることもないのだけれども、自分の気持ちを言うときは多少捲し立てるような言い方になっていたし、彼も言葉の引き出しがないから言い返すこともなくただただ一方的にわたしから言葉を浴びさせられるような状態だった。そりゃ、わたしのこと嫌になっちゃうよな。

彼の方が良い大学を出ているから決して頭は悪くないはずなのに、母国語の部分で引っかかるのは何だかなあと思ってしまう。わたしは自分の語彙力が多いとは思わないが、語彙力の差や日本語力の差なんだろうな。こればかりは育った環境などにも左右されることだろうからどうにもならないのだろうな。

 

一方、わたしを「知的」だと言った人とは、スムーズにコミュニケーションを取れる。とっても心がスカッとする。恐らく1言って10伝わっているし、向こうもわたしに対して同じことを思っていると思う。一番新しい知り合いなのだが、4年も日本語が伝わらない人とやり取りをしていたせいで、ようやく人間に戻れたような気持ちにさえなる。「そうそう、これこれ!」と毎日なっている。

その日本語力をどこで培ったか一度聞いたことがあるが、的を得た回答ではなかった。でも小説を2000冊は読んだと言っていた。わたしも書籍の類は色々買って読んできたが、小説、漫画、雑誌を足してようやく追いつくか追いつかないかの量だと思う。やっぱ、いかに文字に触れてきたかによって左右されるように思う。

 

勉強をしようと思って本を読んでいないし、参考にしようと思って本も読んでいない。なのにこうやって自分のものとしてアウトプットできているのは文字通り今まで読んできた文章が血となり骨になっているのだと強く感じる。もっともっと文字に触れて吸収したい。あわよくば、誰かの心を動かせる素敵な文章が書けたらいいな。

 

次のパートナーは、顔よりも、身長よりも、学歴よりも、職業よりも、きちんと日本語が伝わる人がいいです。切実に。

元担の復活を見た、当事者の感想

 

2021年7月末。わたしは心底驚いた。

いつものようにTikTokを見ていると、突然の退所からずっと忘れられずにいた梶山朝日さんの現在の姿が映し出されたから。

 

元TravisJapanの梶山朝日さん、約4年間の沈黙を破り、TikTokで復活です!(ドンドン、パフパフ!!)

 

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【参考】今見るとかなり気持ち悪い担降りブログhttps://hello-world-10.hatenablog.com/entry/2018/08/26/040000

【目次】

 

元担としての正直な気持ち

いやなんでこのタイミングで? しかもTwitterInstagramではなくTikTok

デビューをすることなく事務所を去ったジャニーズJr.、所謂辞めジュは退所直後にTwitterなどでSNSアカウントを開設して辞めた理由や今後について語ることが多い。

だから、数々のタレントが別事務所で新しいユニットを組んだ情報や芸能と関係のない仕事に就いた話、結婚しました報告も目にしてきた。「おめでとう」「そうなんだ」色々な感想を抱いたりもしたが、当事者(ただのファンなので完全なる部外者だけど、好きだった人の復活劇を見るという意味で)として新しいステップを踏む光景を目の当たりにするのは初めてだ。

 

わたしが大好きだった梶山朝日さんは、(退所の理由として色々な憶測が飛び交ちしかも良い噂は全くなかったのに)退所後そのようなことは一切行わず、どこに住んでいるのか、何をしているのかはおろか、生きているのかもわからない状態が続いていた。

出身地の岡山にいる説、九州にいる説などあったが、それらしい目撃情報も全くなく、それなら人の多い東京や大阪にいることはないのかなと勝手に推測することしかできなかった。

辞めジュがSNSを開設して、これまでの知名度を利用して芸能活動のようなことをしている例を散々見てきたので、自分の好きだった人がそのようなことをしていないというのはとても印象が良かった。辞めた理由はどうあれ、そういうところは良いなと感じていた。

なので、辞めて4年経ったこのタイミングで(いやオリンピックかよ)の復活はとても複雑ではあった。

しかし唯一の救いは、彼のTikTokアカウントを自分で発見した点である。Twitterや友達経由で知ることになっていたら、メンタルはズタボロだったかもしれない。

とはいえ、"Travis Japan梶山朝日"が好きだった自分からすると、一般人のTikTokなんて正直あまり興味がない。けれど、流行りの曲をゆるく踊ったり、見ることが叶わなかった彼が成人した姿を目の当たりにして、複雑なりにやはり嬉しく思ったりもするのだ。

 

TikTok上での梶山朝日さん

わたしが彼のアカウントを発見したのは7月末頃だったが、初投稿は6月だった模様。どこかのタイミングで再生回数が伸び、オタクたちのおすすめ欄に現れアカウントの存在が知れ渡ったのだと予想。

アカウントを見つけた直後、慌ててTwitterで「梶山朝日」と検索すると大体同じようなタイミングでジャニオタたちが「TikTok梶山朝日が!」とツイートしていた。

  • 嫁のマウント
  • 左手薬指の指輪
  • 娘さんの声(かわいい)

動画はあの噂は本当だったのだと受け入れるしかない要素ばかり。(笑)嫁が顔を出して登場したり、「ヤリラフィー」なことはしていなさそうだったのでそれだけは安心した。

動画を見ると「4年経って、SNSがしてみたくなり家族に相談してTikTokを開設した」とのこと。

真意はどうあれ、誰にも行方を知られずに4年を過ごしたということは本当に(裏アカ的なものはあるにしても)SNSをやってこなかったのかなとは思った。

退所の理由がおそらく良いものではなかったので、SNSを作れば当然ファンからきついことを言われるだろうし、実際TikTokのコメント欄も地獄のようだったし、けれど何か思うところがあっての開設だったのだろう。

 

今回のTikTok開設でも、退所の理由は語られなかった。ただ一言「突然いなくなってごめんなさい」。これを聞いて気持ちが昇華されることも納得行くこともないけれど、なんだか少し楽になった気がした。

 

 

元担として思うこと

アカウントを発見した当初は複雑だったが、ここまで来たなら楽しそうな姿を時々見れたらいいなと思っている。

家庭があり、新しい仕事もあり(おそらく鳶職)、芸能活動を再開することはないと本人も言っている。

だから、この活動にゴールはないのだ。一般人・元芸能人(辞めジュ)を問わず、ユーザーは有名になりたいとか、多くの人に動画を見てもらいたいとか、そういう目的や目標があり投稿をしているのだと思うが、多分彼にはそういうものがない。

 

TikTokの収益や投げ銭の仕組み、相場感など一切知らないが、現状の規模であれば収益を得られたとしても微々たるものだろう。アカウント開設の真意、これからどのようになりたいのか? が全く見えないのだ。

おすすめに流れてくる辞めジュのTikTokアカウントをしばしば見ることがある。現場の裏側などを暴露(?)する内容や、現役のジャニーズJr.の名前を挙げて語ったりする内容が多い印象だ。

ハッシュタグに現役のジュニアの名前をつけたら多くのオタクに見られるだろうし、暴露系の動画も需要があるだろう。

 

しかし、彼は現状そういうことを一切していない。小規模ながらオタクたちに静かに存在を知らせ、流行りの曲を楽しそうに踊ったり、現役時代に全く関係のない質問に答える程度だ。使ってるハッシュタグも、当たり障りのないものしか使っていない(=再生回数はあまり伸びない)。わざとなのか、SNSをわかっていないのかは知らないが。(笑)

「ゴールがない」と先述した理由のひとつがこれだ。正直、何がしたいのかがわからない。スポットライト症候群のようなものなのか、純粋にTikTokをやりたかっただけなのか…。

元担として、有名になって欲しいとは全く思わない。しかもカメラのすぐ裏側には大マウント取りの嫁がおり、娘さんの存在を感じられる。あまり目にしたくないような気もする。

TikTokというプラットフォーム自体もいつまで存在するかわからないし、これから1年くらいは細々と時々近況でも報告してくれたら嬉しいです。

 

アイドルをアイドルたらしめる要素(主観)

わたしは、アイドルらしいアイドルが好きだ。特に女性アイドルにそういうことを求めがちである。(恋人の有無はどうあれ)プライベートを明らかにしすぎない、当然匂わせなどしない、清潔感がある(できれば黒髪)…。

ジャニーズに対しては、「高いプロ意識」を求めがちである。清潔感があっても、頑なに黒髪で遊びがないのもつまらないし、ね。

 

梶山朝日さんは、プロ意識の欠如によりアイドルとしての禁忌をおかして退所の道を歩むことになってしまった。アイドルとして最悪の結末。恋人を作るなとは言わないが、たくさんの異性のファンを抱えるアイドルとしては良くなかった。

けれど、彼がアイドルをする姿は本当にかっこよかった。キラキラしていた。中学生で地元の岡山を離れて、退所までの時間を捧げてくれた。力強い眼光、「視線泥棒」よろしく観衆の視線を奪うパフォーマンス。全てがかっこよかった。

その姿は間違いなく輝かしいアイドルだったと思う。

 

当時の姿を今と重ねてしまうのは懐古オタクの良くないところではありますが、TikTokライブでの彼の(元)プロ意識の高さを見てさすがだなあと思つまたりもするのだ。

 

ライブのコメントではやはり、Travis Japanや7ORDERのメンバーの名前が散見される。「あのとき誰々がこうだったよね」とか「今誰々もその髪色してるよね」とか。全体のコメント数も多くないのでそれが目に入っていないことはないはずだが、全て見事にスルー。古巣(と呼ぶのは相応しくないかもしれないが)に関わることは一切触れないのだ。

 

触れたのは、

  • コンサート中にバク転して骨折した(いつのものかは教えてくれなかった)
  • カジリーグ復活リクエスト(わたしがコメントした)
  • 「後悔してない?」のコメントに「してないよー」

くらいだろうか。

最後の「後悔してない?」は、何の脈絡もなくコメントに現れた。前後の話の繋がりもない。察することしかできないが、おそらくデキ婚を理由に退所したことに対してだと思われる。退所を決めるまでに葛藤もあっただろうが、後悔していないと聞いて救われた気がした。

 

古巣に関わる発言を一切しないのは「一般人として迷惑をかけたくない」部分が多いからなのではと思うが、退所して4年も経ち事務所と交わされたかもしれない規約などの効果も切れたはずだし自己満足的な要素も多い気がしているのだが、そういう意識の高さは素敵だなと思いました。

わたしも、あなたを応援したことに後悔は全くないよ!

 

最後に

  • コメント読まれるの結構楽しい

不定期に配信されるライブ、たまたまタイミングが合いほとんどフル出場できている。先のカジリーグの件や色々とコメントをするが、意外と拾ってもらえる。応援していた当時はくるかわからないファンレターの返事に期待したり、ファンサービスをもらうことに必死だったが、それらを体験できてしまっている(笑)なんか、すごい時代だ。

  • ファンレターの返事、いつくれます?

返信用の封筒に切手貼ったやつ、まだ手元にありますか?退所してから郵便料金2、3回は変わってるよ。もしまだあるなら返事待っててもいいですか?

 

 

TikTok復活についてこんなに書けるとは思わなかった。ゴールの見えない活動のようですが、のんびり見ていこうと思います。

 

 

イケメン俳優の接触イベントに行って来た

毎月ブログを更新しようかなと決めて当然続く訳なく、4か月ぶりの更新。面白いことがあったので、記録の意味も込めて更新します。

 

2019年2月3日、東京・ベルサール汐留にて行われた、新田真剣佑ファンミーティング「2nd Meeting with fans」に参加して来ました。昨年突如新田真剣佑沼にハマりファンクラブに入るもタイミングが悪く1回目のファンミには行けなかったので、ようやくのイベント参加。いや~もうね、楽しかったですね。他の用事と重なってしまって、直前まで参加するか迷ってた。参加費(チケット代)3,000円くらいだし今回は諦めようかなって思ったけど、ファンミを選んで正解でした。

 

会場が会議とか企業説明会なんかが行われていそうな感じの大きなホールでのファンミ。今回のキャパは1回900人ほどだったそうです。2部制だったから合わせて2000人いないくらいのファンが参加したってことか…。なんかすごいなあ。俳優って大変なんだなあって思いました。そんな感想を抱いた、人生初めての俳優接触イベントでした。

座席は運よく比較的前方でした。それでもご本人はずーっと前でしたけど。

 

イベントは、本人を呼び込むところからスタート。司会の方の掛け声「せーの」に合わせて「まっけーん!」って。ファンの層的にそうなのか、この回に集まった人たちがそうだったのか、わかりませんが、女の子の高い声で呼び込む…なんてことがありませんでした。本人が出てきても黄色い歓声があがると思いきや、どちらかというと「ざわ…」という感じで。より近くで接触できるファンミもそんな回数を行っていないし、舞台を見に行っても座席から本人のいるステージは遠いしで、初めて見る好きな俳優の美しさに戸惑ってどよめいてるような雰囲気でした(笑)行き慣れたジャニーズのコンサートではタレントが出てきようものなら歓声というかむしろ叫び声のようなものがあがるものが当たり前だったので、新鮮でした。でも、当のわたしはどんな現場でも声を出さずにいるタイプなので、新鮮だけど、落ち着く感じもありました。

 

 企画に入る前に宣伝コーナー。出演中のCM、映画の予告動画なんかを本人と一緒に見ました。ファンなら当然、これらの動画はすでにチェック済みで中には飽きるほど見ている人もいるんだろうけど、動画に出てる人と一緒にその動画を見ることなんて、まあありませんよね。俳優のイベントだと恒例なのかな、知らんけど。

 

企画は大きく分けて3つ。

まずひとつ目は「Real response to fans」。リアルでない、「response to fans」はファンクラブ内のコンテンツにもあって、日にち、時間の書かれたボールをくじのように引き、その組み合わせに一番近かった日時に送られたメッセージ(ファンクラブを通じて本人にメッセージを送る機能がある)を読み上げて、質問等が記載されていればそれに答えるというものだ。それが、ファンミ内でリアルに行われた。

列(1~30列くらいあった)、座席番号(一の位、十の位分けてある)の書かれたボールを新田さん本人が箱から引きそこに座るファンを壇上に迎えて少しの間やりとりができる。きっとここは普通ならスタッフがお客の元に行って壇上に案内するのだろうが、新田さんが「会場が広くて近くで(自分を)見れない人もいるから、少しでも近くに行くために自分で迎えにいきます」とのことで、自分の足でファンの元へ。サービス精神が旺盛すぎる。顔も良くて性格も良い。こんなできた人間が存在していいのか…?

ステージに上がったのは4名くらい。新田さんが客席に降りて動くたびざわつく会場。わたしの近くにも来ましたが、なんかね、直視できなかったです。「わたしなんかが見てごめんなさい」って気持ちになるの(笑)。顔めっちゃ小さいし。新田さんが動くのに合わせてお客の体、視線も動くんだけど、新田さんは「恥ずかしいから見ないで~」って言うの。かわいいね。双眼鏡で覗かれるのも嫌なんだって。ごめんね、双眼鏡でガン見して。キャラなのか、素なのかは当然わからないけど、ファンに囲まれてたくさんの視線を浴びて動くたびに会場がざわついて、そういうのに慣れていない感じは、あざとい若手俳優代表の竹内涼真さんとは真反対だなって思いました。彼がこういうイベントやったら絶対その場の空気を自分のモノにして操るでしょ? 知らんけど。

選ばれしファンの席まで迎えにいった新田さんですが、壇上に登らせるときには何と自分が先にあがり手を差し伸べてエスコートしていました。アメリカ育ちということもあるのかもしれないけど、何も考えず自然にやっているんだろうなあって思いました。知らんけど。わたし、森川葵さんも好きなんですが、以前ふたりが映画『Over Drive』で共演した際の試写会で同じこと(0:07)をやっていたので滾りに滾りました。


新田真剣佑&北村匠海のイチャイチャに黄色い悲鳴 2人なら「何にだって勝てる」 映画『OVER DRIVE』レディゴー!! スタート直前女性限定試写会イベント

 

それで、直接新田さんと会話をできる権利を得た4人ですが、わたしの隣の人がそれを当てました。正直ね「またか~」って思ったよね。またか~の1回目がこれです。舞台の当日券購入列に並んで膝から崩れ落ちたやつ。 

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これだけ自分の隣の人が運がよいってことがあるなら、そのうち自分にも回ってきそうな気がしますね。一日百善くらいして、日々徳を積んでいきたいものです。 当たる可能性の方が低いので期待はしてなかったんですが。倍率225倍だし。さすがにくじで自分の列、自分の座席の十の位が読みあげられたときは当たれ!って思いました。隣の女性に嫉妬とかは当然なく、おめでとうって気持ちになりました。ファンミがスタートして新田さんが登場したときに「顔が小さいですね」ってお姉さんと会話をしたんで、嬉しかったし。質問タイムを終え、隣に戻ってきたとにに「おめでとうございます!」って言ったら、どうぞって手を差し伸べて間接握手をしてくれたのは良い思い出です(笑)あと、手が冷たかったって教えてくれてありがとう…。パタリ

 

ふたつ目の企画は、サイン入りのグッズプレゼント。お客を選ぶ方法が先ほどと同じ。ファンクラブのグッズであるトートバッグと映画『十二人の死にたい子どもたち』のポスター2枚の計3名分。正直ね…これはいいかなって思いました。名前入れてくれるし欲しいっちゃ欲しいけど。持ってるんですよ、サイン。2月1日に出た新田さんの1st写真集をファンクラブ通販で購入すると、サイン入りのやつが送られてくるかも、ってよくあるやつ。限定250冊、とかだったかな。そりゃね、欲しいでしょ。買えばいいんだもん。しかも写真集1冊税込み2,000円の良心的な価格だったから、キリが良いし5冊買いました。そしたら、サイン入りが送られてきました! やったー!! だから、落ち着いた心でふたつ目の企画を見届けました。

 

ここまでを1時間ほどで終え、最後の企画は、ハイタッチ会。行けなかった1回目のファンミでは握手タイムがあったらしいのですが、今回はその時よりキャパが増えてるし、さすがに接触できる時間があるとは思えなかったから期待してなかった。でもよかった!!

初めて見る至近距離での好きな俳優の姿。卒倒してしまいそうでした。知ってたけど、顔小さすぎ! 公式プロフィールによると、身長は178cmということですが、顔の小ささもあってかもっと大きそうに見えました。顔の面積が小さいのに、大きなパーツが集まっていて、うらやましすぎる。手は身長の割にそこまで大きくなかったイメージでした。ハイタッチしただけで握ってないから違うかもしれないけれど。

ハイタッチの際に掛ける言葉、めっちゃ考えた。握手会があったら「ずっと応援します!」って言うって決めてたけど、それって自分を押し付けてるなあって(考えすぎ)。少し前にインフルエンザA型に罹って仕事をキャンセルしていたので「元気で頑張ってください」と満面の笑みで伝えました。確かそれに対して「ありがとう」などの言葉はなく、少々びっくりした顔をしていたような気がします。わたしの顔を見てその顔になったんだったらごめんなさい。痩せて出直します。あと、手がちょっとひんやりしてました(前述参照)。

 

 

楽しかったファンミーティングを終え、次は写真集のお渡し会とスタンプ会です。楽しみだなあ。

 

19卒 就活後記

先日、ようやく初内定を頂いた。 
業界、お給料、社風など色々見てかなり気に入っていた会社だ。
親からは「どうなの?」「まだ就活続けたら?」と言われたが、妥協は一切してない。細かいことを言うと、最も入りたかった会社・業界はありえん狭き門で、新卒で入るのは難しいと大学の先生から散々言われていた。受けたけど当たり前のように儚く散ったから切り替えて、これから就職する業界を中心に見ていた。

とはいえ人気業界には変わりないので、あっちこっち落ちた。
大企業に行くとただの駒になっている自分が容易に想像できたから、ほとんどベンチャーを受け続けた。

5月から6月にかけて教育実習があったため1か月ほど就活がストップしたが、全部で40社近く受けた。周りのことは気にせずマイペースで就活をする、と決めていたからそれが多いのか少ないのかわからないけど。

あまりに決まらなすぎて、親からは「(本当にしたい仕事に近づけるように)専門学校でも行けば?」と言われた。確かに、専門出身のわたしの友人はわたしが一番したい仕事をしている。彼女の話を聞いていると、専門に行くのも近道かもしれないとさえ思えた。大学で色々勉強して、あれが足りないこれが足りないってなってたから、親から打診されるより前から、他の学校に行くの憧れてたんだよねぇ。

行く必要なくなったけども。

 

ここまで内定が出るまで時間がかかったのにはわたしが掲げていた「マイペース就活」に原因があると思う。わたしは性格的に、夢中になってしまうと夢中になりすぎて他のものを犠牲にしてしまう傾向があるので、それは避けたいと思いマイペースに就活を進めていた。どうにかなると思ってSPIの勉強は一切しなかった(尚、どうにかならなかった模様)し、企業研究もさっと軽く済ませた。

内定を頂いた会社は気に入っていたのもあるしこれを逃したらいよいよやばいかもって思っていたのもあって、他の会社よりも力を入れて対策をした。そしたら内定もらえた。他の会社でも同じように力を入れていたら内定もらえてたのかなあ。どうなんだろうか。

 

 

今なら笑って話せるが、7月末に面接中に泣いてしまったことがある。
面接の最後に「あなたにとって働くとか?」と聞かれ、「こいつ(人事担当の面接官)4年の10月から就活始めたとか言ってたのに偉そうに何聞いてんの?」「一生懸命就活してるのにまだ内定1つもなくて焦ってるのに先のこと聞かれても困るし、アルバイトしか経験ないのにそんなのわかるわけなくない?」と思ったら涙が出てしまった。

渋谷のオフィスを出た後も涙が止まらず、リクルートスーツで泣きながら渋谷の街を歩いた。家に帰っても「どうしてこんなに自分はダメ人間なの?」と考えたら朝の4時まで泣き続けてた。

そんな辛い夜、とりあえず気持ちをぶつけようとこのはてなブログに色々書いたものが下書きに残っていたので、ほぼママで公開する。誰が見てるのか、誰も見ていないのか、わからないけど。

 

 

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いよいよ就活がきつく感じるようになってきた。

 

真夏にスーツを着るのもそうだが、この時期に決まっていないという焦りもある。いや「この時期」ってなんだよ。一般的な就活生がいつ就活を終えるとか知らないけど、もう8月だし夏休みだし終えておきたい気持ちもある。

 

わたしは就活をする上で自分にふたつのルールを課した。

①マイペースにする

②ゆるくする

 

決して楽をしたいなどという気持ちでルールを設定した訳ではない。わたしはストイックになりすぎると精神的に自分を追い詰めてしまう傾向にあるからだ。就活はうまくいかなく長期化することを前提に決めたものだ。

 

しかし、やはり、わたしだって人間だもの。無意識のうちに頑張りすぎちゃうこともある。

 

今日面接を受けた会社は、説明会のときから印象が良く気に入っていた(面接担当の人事はあくびを噛み締めながらやっていたので印象は一気に悪くなった)ので、傾向を調べ対策をしていた。

 

その場で不合格を伝えられ、しかもフィードバックまでされた。フィードバックって必要だと思う。けどこんな仕打ちあります?(笑)

面接の最後の「あなたにとって仕事とは?」という質問で詰まってしまい、詰まっているうちに「何で就活うまくいかないんだろう」とか「内定がどこからももらえない程わたしは悪い人間なのだろうか」とか考えてしまい、泣いてしまった。

マイペースにゆるくやっていた就活で泣くとは思わなかった*1。今も泣きながらブログ書いてるし。8月1日の夜1時半に。

だから、泣きながらフィードバックを受けた。なんて光景だろう。

 

わたしを落とした人事の男性に『「原因」と「結果」の法則』という自己啓発本をすすめられた。むかついたし、帰り道で買って読み終えた(1,200円もするくせに薄くて文字のサイズも大きくすぐ読み終わってしまった)。心当たりのある言葉の数々だった。今まで出会った大人に言われて、しかもわたしが無視してきた金言ばかりだった。流し読みしたから正確にそれと一致している、と言い切れないけど、どきりとした。

 

思い返すと、大人から言葉をもらったのはわたしが変わるチャンスをもらったのと同義だったのかな、と。正直、頭も良くないし、要領悪いし、シンプルに生きるのに向いていない人間なんだけど、それをカバーするためのアドバイスのようなものだったと思う。

 

とはいえ、日本は学歴社会である。学歴フィルターで濾される者はそれさえ知らずに濾されるので、学歴フィルターの存在を感じたことはないけど、履歴書やESではほぼマストで大学名書かされる(ふたつだけ「絶対書くな!」というふうに迫られた会社があった)し大人は見てる。

 

「世間からよしとされる学歴を手に入れるに見合った努力」をしていないから、こんなこと言っても「は?」って感じだけど、高学歴を入手するには運も試されるからずるい。あとは、試験当日に実力を発揮できるメンタル。わたしは、当然努力不足もあるとは思うけど緊張で当日にだめになってしまうタイプのようで。緊張の自覚はないからただの言い訳という可能性もあるけど。あとは環境とか。ただと統計にすぎないけど、東大生の親は年収がいくら以上とか。国立で学費は私立より安いのに、親の収入が多い(いい職業についてる)必要なんて私立ほどないのにね、なんでだろうね。

 

そんな調子で高校受験も大学受験も失敗してる。就職先の第一志望は大手●●社。学歴見られるし書類で落とされた。書類出したの2月。就職も失敗した。

 

だからたまには報われることがあってもいいと思うんだよね。努力不足ではあると思うけど努力してないわけじゃないし。

 

 

ゼミの先生に「自分の力でどうにもならないことは頑張らなくていい」と言われた。就職なんかまさにそうだ。就職試験の点が良かろうが、面接でうまく喋れようが、合否を決めるのは他人だし。

でもこれは何もしなくてもいいことの免罪符にはならない。けど結局わたしは何をしたらいいんだろうか。ちょっと迷子だ。

 

 

なんか、自分の気持ちはブラさずにやろうと思ってたけど違うのかな。よそいきの言葉に改めた方がいいのかもしれない。

 

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病んでる!(笑)

本当に色々あったけど、自分の進みたい道に行けて本当に嬉しい。
周りの大人にこの業界に進みますって言ったらすごい褒めてくれるの。今までそういうことがあまりなかったから快感。

社会人になる前に自分を見直せる良い機会を与えてもらったな、と思います。

これからどういう仕事をするのか、想像しかできないから「頑張る」としか言いようがないけど、頑張ります。

*1:わたしはぼやぼやしてて感情が死んでいることが多いから「悔し泣き」をしたことがびっくり。ちなみに5月にも悔し泣きした

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必ず明日が来ると思うな。

どうも、担降りブログです。しかもなんと一気にふたり分(笑)

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担降りブログを書いている人を見て「周知させる必要なくない?降りるなら勝手に降りればいいのに」って正直思ってた。こんな自分がまさか担降りブログを書くことになるとは。いざ書くとなってようやく書く側の気持ちがわかった。周知させるというより、自分に区切りをつけるためだね、これ。

 

さて。

わたしは2018年8月21日にSummer Paradise(以下、サマパラ)Travis Japan公演に入った。就活あるしバイト一個辞めたし最近俳優界隈にお熱でそっちにお金つかったせいでお財布が寂しいから1公演だけ。

吉澤閑也くんのうちわを持った(立ち見席でうちわを持っても意味ない場所だったから物理的に言うと持ってはいない。一応持参はした)。吉澤くん、すごく魅力的だし顔がタイプだし頑張っている姿は同い年としてとても尊敬できる。

しかし、わたしは吉澤くんのうちわを持ちながらも心には他の男の存在があった。そう昨年の秋に退所した、元Travis Japan梶山朝日くんだ。

 

わたしは梶山くんのファンだった。そうファン。ずっと好きだったジャニーズWEST重岡大毅くんがいるから。ファン。

梶山くんに落ちるのは本当に想定外だった。

2017年の5月に行った「ジャニーズJr.祭り」が始まり。そのときはジュニアにそこまでのめり込んでおらず、「なんとなく好きな人」が5人ほどいた。そこに吉澤くんと梶山くんがいたけど、ランキングをつけると吉澤くんの方が上だった。なんなら梶山くんは最下位だった。けど、出演者に吉澤くんよりも好きな人がいたから別の人のうちわを持っていた。今考えるとあっちゃこっちゃすごい(笑)

ジャニーズJr.が一堂に会するコンサート、ジュニア祭りでTravis Japanを好きになった。そして梶山くんに落ちたのだ。このときのことは今でも鮮明に覚えている。別の人を見ていても目に入ってくる梶山くん。さすがの視線泥棒である。気づいたら彼に見入ってた。

そして夏の現場、秋の帝劇、とこなしていたが、梶山くんは突然退所してしまった。退所の1ヶ月ほど前から退所の噂はあったけれど。理由ももちろん公になっていない。

突然、実質の「担降り」がわたしに突きつけられたのだった。

 

でも正直、梶山くんに重岡くんほど重きを置いていたわけじゃないしそもそも担当じゃなかったと当時は思っていた。Jr.担になる心構えが出来ていなかったこともあるけど、周りのJr.担のお友達を見て自分ならこんなふうに熱心に応援できないなと思っていた。

しかし自分にやれることはやろう、と「レッスンのときの飲み物代くらいになればいいな」と思い積極的にグッズは買っていた。「オタクは黙って(フォトセットを)5セット」「現金がなくなってからが勝負」というJr.担の友人が放った迷言を胸にお金をつかった。

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(梶山くんの写真がジャニーズショップから消えた直前に買ったやつ)

 

梶山くん退所後もTravis Japanを応援していた。繰り上がり当選、みたいな感じで以前まで気になっていた吉澤くんを見ていた。自担が退所したにも関わらずジャニオタを続ける理由は単純で、自分がジャニオタであることが当然であり、現場に行くことがライフワークになっていたからだ。

だが、無理に吉澤くんを応援する必要はなかったと思う。まだJr.に降りていないし(自分がJr.担になることが認められない当時のわたし(笑))重岡くんを今まで通りに応援すればいいだけだ。けれど、数年前にジャニーズにハマったわたしはジャニーズWESTだけでなく、Travis Japanという素敵なグループも知ってしまったから、今までと同じようにジャニーズWESTを、そして重岡くんを応援するのは無理だとさとってしまった。それを実感した出来事があった訳ではないし、重岡くんが嫌いになった訳でもないのだけれども。

 

だからわたしは「ジャニーズWESTの応援を少し控えて、Jr.ならTravis Japanの吉澤くんを応援する」と決めた。ただ、これはわたしにとって掛け持ちではない。側から見たら実質掛け持ちだと思う。けどわたしは性格的に掛け持ちはできないなと思っていたから、自分の中でうっすらジャニーズWESTTravis Japanの間に線を引いていた。

ジャニーズWESTのツアーは一番近い会場の1公演しか入らなくなった。Travis Japanも1〜2公演だけ。ジャニオタとしての活動も控えるようになった。「絶対にこの人」という梶山朝日くんを応援することがどう足掻いても一生できなくなってしまったからだ。

 

だからかどこか物足りなさ、寂しさを抱えていた。彼が退所したという事実は割とすぐに受け入れられたし、切り替えられていたと思う。けれど寂しさはいつまで経っても消えなかった。彼は本当に魅力的な人だったと思う。わたしはジャニーズだとセンタータイプの人を好きになることが多い、というか100パーセントメンバーカラーは赤だった。まだジャニオタではなかった小学生の頃に好きだった人も赤。重岡くんも赤。梶山くんのメンバーカラーは紫で立ち位置も端が多かった。今までに好きになってこなかったタイプのジャニタレである。自然と目に入りやすい人を好きになっていたわたしが好きになった梶山くんだから。冒頭で述べた通り演者がわんさかいる現場で見つけた梶山くんだから。やはりそれなりにこの気持ちは大切にしたいなと思っていた。

 

だから、未練がましく何となくズルズルと引きずってしまっていたのだが、サマパラでお友達を介して会った人に「しょうがないよ、朝日にかわる人はいない」と言われてすごい腑に落ちた。

そして、元Travis Japan阿部顕嵐くんと森田美勇人くんのジャンボうちわを持っている人を見た。気持ちはよくわかる。けれど、わたしはうちわを持つことはおろか買うことすらできなかった。他担が心底羨ましく思った。ずるいと思ってしまった。同時に「もう梶山朝日を応援できない」という事実を改めて突きつけられた瞬間だった。

サマパラで実際にTravis Japanを見て、梶山くんが抜けても応援したいと思えることを再確認できたし、吉澤くんをたくさん見たい、好きでいたいという気持ちが強くなった。SMAPしかり、KAT-TUNしかり、関ジャニ∞しかり、Jr.時代を経て晴れてデビューしたとしても、好きなメンバーがずっとアイドルでいてくれる保証はない。Jr.なら尚更。Jr.担になるのを認められないとか何とかうだうだしているうちに、自分が後悔する結果になるのはもう嫌だ。

 

だからわたしは、重岡大毅くんとも梶山朝日くんともさよならして、精一杯吉澤閑也くんを応援したい(偶然にもこのブログの更新日は重岡くんの誕生日である。狙った訳ではない…)。

 

明日も必ず今日のように自担を応援できるかは、明日にならないとわからない。だからこその選択なのだ。

ずっとずっと、吉澤閑也くんを応援できることを願って…。

 

388859 / flumpool

「サヨナラ」の4文字。
君がどれくらいためらったかわかる午前4時
ごめんねとか打つとこで
どれくらい好きかってことばかり
まだ指がなぞって

聞きたくもない文字に滲む
ただの消去じゃない想い

何度も何度も書いてはまた消して
どうしようもなくなって裸足で飛び出した
消しても消せない僕らの想い出が
こんな情けない背中を押してる

居心地の悪いベンチ
君が好きだった景色を
ヒザが痛くなるまで見てる

君がひくような事ばかり
頭の中拡がって

僕の知らない君の一部すら
許せなくて問い詰めてはまた落ちて
どうしようもない感情ぶつけてただけの
僕は君の何ひとつわかってないな

何度も何度も書いてはまた消して
君をただ受け止めたくて飛び出した
君が告げたさよならが
僕のこんな情けない背中を押した
君は僕をただ消去しなかった
なのに僕は何ひとつ君をわかってないまま

 

 

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好きな俳優が出る作品何回見るか問題

好きな芸能人が主演の映画を20回以上見に行った人がいる、ということを聞いた。

その方の性別や年齢は知らないけど、最低でも2万円はかかってるのかな。映画が1回120分だとすると40時間…!どうやって時間を捻出してるんだろう。職業が気になる。

 

おそらく世の中には「同じものを何度も見に外へ行く」ということに理解がない人もいるんだと思います。でも、映画にしろ舞台にしろコンサートにしろ、世界はまばたきをしている間にも移り変わっているし、取りこぼしがないよう自分の脳に焼き付けたい、って思っている人種もいるんですよね。わかります。わたしは完全に後者です。

 

でも「同じ映画」を20回って、どうなんだろう。

映画についてあまり詳しくないのですが、映画ってそうとうマイナーじゃない限り、あとは作品がコケない限り円盤化されると思います。今回の作品は相当有名な方も出演してるし、よほどのことがない限りDVDやBlu-rayで見れるようになるもの。でもそのうち映像作品(DVD)になる映像作品(映画)をたくさん見るってどうなんだろう。

 

確かに、何かの都合で編集されてしまい、映画とDVDが完全に一致しない場合もあるかもしれない。でもそれってきっとそこまでの違いにはならない。となると、二者の違いってスクリーンの大きさと音響の良し悪し。設備の問題。好きな芸能人を大きなスクリーンで見るのって良いよね。わかる。

あとは自分の気持ちの問題かな。明日には何かの拍子でこの芸能人を嫌いになっているかもしれないし、DVDが出る頃には好きじゃなくなっているかもしれない。今の自分だからこそこの映画を楽しめる、という意味で映画を見る。

 

そう考えると、映画に2万円って安いのかな。でもやはり、「映像作品が映像作品になる」ことは覆らない。2万円あればおいしいご飯が食べられるし、DVDが買えてしまう。

 

生で見る作品、舞台とかミュージカルとかは二度と同じものは見れない。セリフは同じでも、瞬きやちょっとした間は再現できないし、アドリブが入ったりもする。映像化されない作品も多いし、どの公演が収録されるかわからない。だからね、私は何回も見るなら舞台かなと思います。映像化されてもされなくても。

 

人の趣味って難しいなァ!!

 

運のハナシ

私は現在就活中である。(教育実習中だから1か月くらい何もしてないんだけどね、ムニャムニャ)

 

面接でこういった質問が投げられた。

「ご自分に『運』はあると思いますか?」

即座に口を開くことはできなかった。どちらかというと、運はない方だと思うからだ。

「はい、運はありません!」と面接官に向かって言えるわけがない。(笑)

 

少しの間悩んで、わたしはこう答えた。

「あるほうだとは思います。ただ、肝心なときにそれが発揮できません」

これは嘘ではない。ここぞというときに運悪く失敗に終わることが多いと感じているからだ。(そしてこの面接は落とされた。最終面接だったのに)

 

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悔しすぎて強烈に記憶に残っている出来事がある。

大好きな小池徹平さん主演のミュージカルの大千穐楽。当日券を求め劇場に向かった。最終日というだけあって大勢の人が当日券を求めて列を作っていた。わたしが最後尾に並ぼうとしたとき、女性とかち合ってしまい、どうぞ、と前を譲った。

ここまでで察しの良い方は結末が読めているだろう。

当日券の抽選は、事前に整理券が配られ、並んだ人の数だけ入ったくじを係員が引く仕組みになっている。そう。私が前を譲った女性が引き当てられたのだ。手元の整理券を見たとき、番号を呼ばれた彼女が列から離脱したとき、膝から崩れ落ちそうになった。

なんて、自分は運がないのだ、と。

 

私の人生、こんなことばかりである。

 

しかし、先日こんなことが起きた。

 

また舞台の当日券の話。突如沼に落ちてしまった新田真剣佑さんが出演する舞台の東京千穐楽の当日券に並んだ。

 (新田さんについて話しているのでよかったら)

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「何が何でも観てやる!」という気持ちで並んでいたのだが、いざ抽選が始まるとなかなか自分の番号が呼ばれない。わたしの前の人、後ろの人は早々呼ばれていたのに。そしてよぎる、膝から崩れ落ちそうになった過去。親切なのか不親切なのかわからないが、当日券に何十人並ぼうが全員分抽選を行うらしい。結局わたしが呼ばれたのは80人中最後から2番目。私の後ろにいた最後の1人はあきらめたのか列から抜けて辞退し、私が最後になってしまった。

絶望 of 絶望

しばらくすると係員に苦笑いされながら説明を受けた。「キャンセル待ちか立ち見を選択できますが、この列ですので、このあたり(最後尾付近)に並ばれている皆さんに入って頂くのは難しいかと思います(苦笑)」と。

何て運がないんだ。

ただ、好きな俳優の晴れの舞台をこの目で見たいだけなのに。わたしは何か悪いことをしたのだろうか。

この日は5月下旬で太陽が照り付け暖かかったが、絶望感で背筋がひんやりしました。それでも、立ち見でも見れることを信じて並び続けた。

 

すると、後ろから女性に話しかけられた。「あのぅ。チケットあるのでよかったら買ってくれませんか?」

 

………………!?!?!?!?!?!?!?

いや、買いますけど、入りますけど、なんで?

聞くと、手違いでチケットが複数取れてしまい余らせていたのだそう。多分、当日券の列の一番後ろにいた人に譲る予定だったのだと思う。「2階席の一番後ろで良い席じゃないんですけど…」と申し訳なさそうに言われたが、座席の良し悪しなど関係ない。入れるかどうかが問題なのだ。財布を見るとお札が崩れていなかったので、全力疾走で近くのコンビニへ向かった。

「わたし、今世界で一番ラッキーな女だ!」と思いながら劇場のある赤坂を駆けた。

 

 支払いを終え、チケットを受け取る。なんかもう、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。舞い上がっていた。だって、もし私がもっと早く番号を引き当てられていたら。最後尾の人が辞退しなかったら、このチケットは私の手元にやって来なかったのだから。この瞬間は本当にラッキーだったと思う。

 

話は逸れるが、舞台は最高だった。東京千穐楽と合わせて全部で3回入ったのだが、3回ともそれぞれ良さがあって観ていて飽きが来なかった。この日は千穐楽という特別感からか、日替わりのアドリブシーンがいつもより長く、そのシーンのあとに登場する新田さんがいつもと同じタイミングで出てきてしまったためにステージ上であたふたするというのも見ることができた。どうしよう、どうしようと立ち位置でぐるぐる回っていたのだ。かわいいったらありゃしない。カーテンコールで新田さんのコメントを聞くことができ、感無量だった。過去2回で感じなかった「目が合ったかも感*1」も覚えた(※尚、双眼鏡越し)。

 

思い返すと、他にもラッキーエピソードはある。

高校生の頃、好きなバンドのflumpoolがキャパが少ないライブハウスで公演を行うことになった。もちろんかなりレアな公演になる。ファンの友達が当たり前のように落選する中、わたしは当選した。しかも整理番号がかなり早く、前から2列目を確保することができた。ここまででもとてもラッキーだと思うが、まだ続きがある。

ライブの最後でメンバーがステージからオーディエンスに向けて投げたドラムスティックをキャッチすることができたのだ。だが、それをキャッチしたのはわたしの他に2人いた。引っ張り合いになったが仲介が入りじゃんけんをすることになった。

ちなみにわたしはじゃんけんが弱い。肝心なときほど負け、どうでもいいときほど勝ってしまう。だから「今日こそ勝ってやる」という気持ちで挑んだ。すると、勝てたのだ。もちろん、びっくり。こんな体験初めてだし、この先もきっとないだろう。

 

 

 

 

 

多分、わたしは運が悪いときはとことん悪い。

けれどここぞってときは案外ラッキーだったりする。

 

今、面接官からあのときのように「ご自分に『運』はあると思いますか?」と問われたら、自信を持って「あります。重要な場面ほど運のよさを発揮します」と言うだろう。

 

 

*1:演者と目が合う合わない問題。答え合わせをしようがないので、わたしが「合った」ということにしています