見たまんまの世界

自分用のメモです。なんでもありません。

日本語力の醸成

「ギリギリ嫌味じゃない程度に知的」

 

普段わたしは人から何か評価されるタイプではないのだが、先日このように評価された。本人に確認したら一応褒め言葉らしい。

振り返ると見た目のことよりも、圧倒的にこの手の褒められ方をされることが多かったた。100%。

小学生の頃は「敬語が上手だね(小学生らしくない言葉の使い方をするね)」、大学時代の学習塾アルバイト先の上司(国語担当の偉い人)からは「あなたの使う日本語は今まで出会った人の誰よりも美しい」と。目上の人には敬語を使うし、きちんと言葉が伝わるように正しい日本語を使いたいと思うし、何も意識はしていない。何も特別なこともしていない。

 

 

なので、折に触れて人の言語力や日本語力はどこで醸成されるのか考えることがある。個人的には幼少期の読書量(文字と触れ合う時間)が重要な鍵を握っていると思っている。

国語の成績がずば抜けてがとても良かった高校の同級生は、小さい頃から親が絵本を与えてくれて山ほど読んだと言っていて納得した。わたしは勉強をするのが下手くそだったので成績は良くなかったが、数学よりは国語が得意で過去を振り返るとやはり親が本や漫画をたくさん買い与えてくれていた。

何より大きかったのは小学5、6年生のときの担任の先生の教育だろう。このときの先生は、別の学校から異動してきたスパルタ先生だった。「前の学校ではそうだった」と言って何かにつけてわたしたちに作文を書かせてきた。それまでのんびりのほほんと過ごしていたわたしたちにとっては苦痛だった。始業式−–学年が上がった意気込み、校外学習や修学旅行があれば感想を。それに向けての意気込みも書かされた。そしてまた感想、感想…。原稿用紙びっしり1枚分を何分で書けとか訳のわからない指示も出された。わからない漢字があっても辞書をひくことも許されず、推敲する時間もなくただただ思ったことをすぐに書いていかないと小学生には難しい課題だった。わたし含めクラス全員本当に嫌々書いていたと思う。

ただ、小学6年生の後半にもなると段々と作文にも慣れてきてそれなりのスピード感で書けるようになっていたように記憶している。作文の出来栄えがどう成長したかは覚えていないが、「文章を書く力」はここで養われたと信じている。これがなかったら今頃わたしはここで文章なんて書いていないだろう。

 

わたしは小説を書ける訳でも、なにか素敵なブログを書ける訳でもないが、こうやって自分の気持ちを書き起こすのは嫌いではない。心の機微だったりを捻り出して表現するのも結構好きだと本当につい最近気づいたりもした。

 

ただ、自分の文章力や語彙力が悪い方向に働くこともあった。恐らく。

20代中盤から後半にかけて4年間付き合った恋人とのやり取りの中で「自分の言葉が100%正しく伝わっていないな」と感じることが多々あった。後々モヤっとするのが嫌なので相手から取られた態度で不快なことなどがあったら理由も添えてきちんと不快であることを言っていたが、10言っても1も伝わっていない感じ。暖簾に腕押し。しょっちゅうコミュニケーションで躓いていた。でもわたしはそれでも言い続けた。きちんと彼に伝わるように。

同じように同じことを言って伝わる人にはきちんと伝わるのだろうが、きっと彼にはそれが高圧的に取られてしまっていたんだろうな。わたしはどちらかと言うと性格は温和な方で、短気だから怒りゲージは溜まるが怒り方を知らないから怒ることもないのだけれども、自分の気持ちを言うときは多少捲し立てるような言い方になっていたし、彼も言葉の引き出しがないから言い返すこともなくただただ一方的にわたしから言葉を浴びさせられるような状態だった。そりゃ、わたしのこと嫌になっちゃうよな。

彼の方が良い大学を出ているから決して頭は悪くないはずなのに、母国語の部分で引っかかるのは何だかなあと思ってしまう。わたしは自分の語彙力が多いとは思わないが、語彙力の差や日本語力の差なんだろうな。こればかりは育った環境などにも左右されることだろうからどうにもならないのだろうな。

 

一方、わたしを「知的」だと言った人とは、スムーズにコミュニケーションを取れる。とっても心がスカッとする。恐らく1言って10伝わっているし、向こうもわたしに対して同じことを思っていると思う。一番新しい知り合いなのだが、4年も日本語が伝わらない人とやり取りをしていたせいで、ようやく人間に戻れたような気持ちにさえなる。「そうそう、これこれ!」と毎日なっている。

その日本語力をどこで培ったか一度聞いたことがあるが、的を得た回答ではなかった。でも小説を2000冊は読んだと言っていた。わたしも書籍の類は色々買って読んできたが、小説、漫画、雑誌を足してようやく追いつくか追いつかないかの量だと思う。やっぱ、いかに文字に触れてきたかによって左右されるように思う。

 

勉強をしようと思って本を読んでいないし、参考にしようと思って本も読んでいない。なのにこうやって自分のものとしてアウトプットできているのは文字通り今まで読んできた文章が血となり骨になっているのだと強く感じる。もっともっと文字に触れて吸収したい。あわよくば、誰かの心を動かせる素敵な文章が書けたらいいな。

 

次のパートナーは、顔よりも、身長よりも、学歴よりも、職業よりも、きちんと日本語が伝わる人がいいです。切実に。